• Maydo Journal #014

    Maydo Journal #014

    都会にいた頃、ずっと「選ばれる側」でいようとしていた。
    企画を通す、仕事をもらう、評価される,,,
    そのために動くことが、働くということの“中心”にあった。

    でも、地方都市である豊岡(兵庫県)で働くようになって気づいたことがある。地方での仕事の多くは、むしろ“選ぶ側”の姿勢が問われるということだ。

    もちろん、選り好みをしていいとか、偉そうに振る舞うという意味ではない。
    もっと日常的な、静かで本質的な感覚

    「自分は誰と働きたいのか」
    「どんな仕事に時間を使いたいのか」
    「何に責任を持ちたいのか」

    その問いを、自分で選び取る必要が出てくるのだ。


    みなさん、こんにちは。ブランディングカンパニーMaydoの森下です。僕の記事を初めて見ていただいた方は、ぜひ自己紹介ページもご覧になってください!

    https://note.com/embed/notes/n44dd574f49ba

    目次

    1. ■ 都会では「選ばれるため」が前提だった
    2. ■ 豊岡に来て、初めて“選ぶ側”の感覚に触れた
    3. ■ 選ぶ人は、同時に「選ばれる理由」をつくっていく
    4. ■ 選ぶために必要なのは、結局“目の前の誠意”
    5. ■ 選ばれるためじゃなく、“選ぶため”に働ける日々

    ■ 都会では「選ばれるため」が前提だった

    都会にいた頃の働き方は、分かりやすい競争の中にあった。

    たくさんの人がいて、たくさんの会社があって、
    たくさんのプロジェクトが動いている。

    そのなかで、仕事を受け取るには、

    • スキルを磨く
    • 実績を積む
    • プレゼンスを上げる
    • 評価されるように動く

    という“選ばれる努力”がどうしても必要だった。

    これはこれで健全で、刺激があって、鍛えられる経験だったと思う。

    でも、人が多く、選択肢が多い世界では、
    どうしても「選ばれるための自分」を演じる時間が長くなる。

    知らないうちに、自分の動機よりも外からの基準を優先してしまう。
    そんな息苦しさを、どこかで感じていた。


    ■ 豊岡に来て、初めて“選ぶ側”の感覚に触れた

    地方に移って驚いたのは、
    「仕事を選べるようになる」という変化だった。

    それは、都会のように案件が溢れているからではなく、
    逆に、仕事の数が限定されているからこそ起きる現象だった。

    「誰が、何のために、どんな背景で動いているのか」
    が都会よりも圧倒的に見えやすい。

    だからこそ、仕事の一つひとつに、
    “関係性”と“意味” が乗る。

    そのプロジェクトは、地域にどんな影響を与えるのか。
    その人の想いはどこから来ているのか。
    自分が関わることで、どんな未来につながるのか。

    こうしたことが、東京にいた頃よりも鮮明に立ち上がってくる。

    そして、気づけば僕は

    「どんな仕事なら本気で向き合えるのか」
    「どんな人となら一緒に戦えるのか」

    を、自分で“選ぶ”ようになっていた。


    ■ 選ぶ人は、同時に「選ばれる理由」をつくっていく

    面白いのは、
    “選ぶ側”になると、自然と“選ばれる側”にもなるということ。

    仕事を選ぶという行為は、
    自分の軸をはっきりさせるということでもある。

    • どんな価値観を大事にしているのか
    • どこに時間を使うのか
    • 何をやりたくて、何を断るのか

    これらが明確になると、周りから見た自分の輪郭がはっきりする。

    結果、依頼の質が変わる。
    紹介の質も変わる。
    関わる人の温度も変わる。

    豊岡でも、都市部での仕事でも、
    ここ数年で強く実感していることだ。

    主体性は、人を引き寄せる。
    姿勢は、信頼をつくる。

    選ぶという行為は、本質的には「本気を見せること」なのだと思う。


    ■ 選ぶために必要なのは、結局“目の前の誠意”

    では、どうすれば選べるようになるのか。

    それは、派手なことをする必要はなくて、
    結局は当たり前のことを、誠実に続けるしかない。

    • 誠意のあるスピードで動く
    • 手を抜かずに丁寧にやる
    • 相手の温度に合わせて向き合う
    • 関係性を大切にする
    • 小さくても結果を出す

    地方は特に、こうした「当たり前の積み重ね」
    仕事の未来を左右する。

    都会のように流動性が高くないからこそ、
    誠意と実行が、そのまま評判になる。

    だから、選ぶためには
    まず“選ばれるに足る自分”であることが必要だ。

    矛盾しているようで、これはひとつの真理だと思う。


    ■ 選ばれるためじゃなく、“選ぶため”に働ける日々

    地方都市である兵庫県豊岡市に来て5年。
    気づけば、自分は都会にいた頃よりもずっと自由に働いている。

    それは、自由な時間が増えたからではなく、
    自分で“選ぶ力”が育ったからだ。

    仕事は、誰かに与えられるものではなく、
    自分が選び、つくり、育てていくもの。

    そう気づけただけでも、地方に来た価値は大きい。

    あなたは今、
    “選ばれるため”に働いていますか?
    それとも、
    “選ぶため”に働いていますか?

    どちらも正解だけれど、
    その違いに気づいておくことは、働き方を大きく変えると思う。

  • Maydo Journal #013

    Maydo Journal #013

    「地方で仕事をする“自由”と“責任”について。」

    地方都市、豊岡で働いていて感じる、自由と責任の“重なり合うポイント”。誰かに縛られないからこそ、自分で決める力が問われる

    ——その実感を書いてみました。

    みなさん、こんにちは。ブランディングカンパニーMaydoの森下です。僕の記事を初めて見ていただいた方は、ぜひ自己紹介ページもご覧になってください!

    https://note.com/embed/notes/n44dd574f49ba

    地方で働くようになって、一番よく聞かれる質問がある。
    「地方のほうが自由ですか?」というものだ。

    たしかに、自由だと思う。
    時間の使い方も、働き方も、人との距離感も。
    “都会の基準”から少し離れるだけで、呼吸が深くなる瞬間がある。

    でも同時に、自由と同じくらい——いや、それ以上に“責任”がのしかかる。そのバランスが、この数年でようやく腑に落ちてきた。

    目次

    1. 地方では「誰かがやるだろう」が通用しない。
    2. 必要なのは、完璧さよりも「誠意の速度」。
    3. やりたくて選んだ「自由」か。やらなくて済むための「自由」か。
    4. 自由と責任は、背中合わせじゃなく、重なり合っている。
    5. 自由に働くことは、覚悟を持つことでもある。

    地方では「誰かがやるだろう」が通用しない。

    都会にいた頃、気づかないうちに
    「誰かがやってくれるだろう」という感覚に甘えていた。
    役割分担が細かく、専門性が分断され、
    自分の“線引き”が自然とできてしまう環境。

    でも豊岡では、その境界線は驚くほど薄い。
    小さな街だからこそ、
    “やる人がいなければ、物事は動かない”という現実がある。

    だから、自由と同時に「自分がやらなければ」という責任が生まれる。
    自由だから楽、というわけじゃない。
    むしろ、自由だからこそ逃げられない。


    必要なのは、完璧さよりも「誠意の速度」。

    地方で仕事をしていると、
    結果の前に“姿勢”を見られることが多い気がする。

    どれだけ立派なスキルを持っていても、
    どれだけ良い企画を書いても、
    その街の人たちと同じ地平で、同じ温度で向き合えるかどうか。

    特に感じるのは、誠意の速度だ。

    早くやるかどうかではなく、
    「どれだけ心を込めてすぐ動くか」という質の早さ。
    レスの一つ、現場への顔出し一つで、信頼は驚くほど変わる。

    都会での“効率”とは違う、
    地方の“速度感”がそこにはある。


    やりたくて選んだ「自由」か。やらなくて済むための「自由」か。

    自由の使い方には、大きな差がある。

    • やりたいことを形にするための自由
    • 責任から距離を置くための自由

    同じ「自由」という言葉でも、その意味は大きく違う。

    地方で仕事をしていると、
    後者の自由はすぐに見透かされる。
    小さなコミュニティでは、誤魔化しがきかない。
    誰が本気で、誰が逃げているか。
    その違いが、驚くほどはっきりと現れる。

    だからこそ、前者の自由をどう使うかが問われる。
    “自分の意思で選び、自分の意思で決める”という自由の使い方だ。


    自由と責任は、背中合わせじゃなく、重なり合っている。

    豊岡に来てみて気づいたのは、
    自由と責任は別々に存在しているわけではないということ。

    責任があるからこそ、自由が活きる。
    自由があるからこそ、責任が生まれる。
    それは背中合わせではなく、むしろ重なり合っていて、
    その重なる部分が、人の“らしさ”になる。

    地方で働く面白さは、たぶんその“重なり”の部分にある。

    誰かに決められた仕事ではなく、
    自分で選び、動き、形にしていく。
    そのプロセスの中で、自分の仕事の軸が育っていく。


    自由に働くことは、覚悟を持つことでもある。

    自由な働き方を望む人は多いけれど、
    自由には覚悟が必要だと思う。

    やるべきことを自分で決める。
    誰に頼られたいのかを自分で選ぶ。
    そして、自分が動かなければ何も変わらないという現実を背負う。

    その覚悟のある自由は、心地よい。
    地方で働く今、日々そのことを感じている。

    自由と責任。
    どちらかではなく、どちらも持って生きていくこと。
    そのバランスが、人の仕事を美しくする。

    あなたにとって、“自由に働く”とはどんなことですか?